こめらの建物の移り変わりと名物オーナー太郎について紹介します

*2000年以前の写真は画像サイズが小さく、クリックしても拡大しないものもありますがご了承ください。

1982年(S57)7月24日 こめら開業

1982年の5月のある日、太郎が「ペンションをやろう」と言い出し、何が何だかわからない状態で7月24日オープン。

それから40年。まさかひとりになっても続けることになるなんて…。人生はわからないな…。


1983年(S58)春

丸裸状態の外観がサンルームで変貌。

この頃アウトドアブームの走りで、MTBがまだ自転車とは認知されていない時代!

太郎が女の子に「MTBで自然の中を走ると気持ちいいよ」と言うと「私バイクには乗れません」と返ってきました。

今では笑い話ですねえ~。


1985年(S60)~1988年(S63)頃

1階の食堂が出窓になり、太郎が作った鉢カバーの陶器と花の合体(コラボ)で見栄えが良くなる??


1990年(H2)~1994年(H6)頃

わずか4年間の巨大サンルーム時代。

大きなサンルームは、グリーンシーズンはテーブルをおいて食堂に、雪のシーズンは雪囲いの通路になっていました。

世の中バブルの頃で冬も週末になると満室だったので、やっぱり食堂を広げようということで念願だった増改築をすることになりました。


1994年(H6) 現在の建物に

食堂を2階に、玄関も分かりづらかった南側から道路沿いの西側へ移しました。

バリアフリーの建物になってより多くの人に利用していただけるようになりました。

*写真は1995年春のものです


ペンションこめらのオーナー・太郎が平成22年11月22日0時45分に永眠いたしました。

2002年の20周年の少し前に、前立腺ガンが発見され、翌年の4月に手術を行いました。以後ホルモン療法などの効果もあり通常の生活をしていましたので、お気づきにならなかった方も多いと思います。平成22年8月9日に入院し、21日に退院してからは、再度入院することもなく、在宅療養で頑張っていたのですが、11月22日に愛する『こめら』において苦しんだ様子もなく、眠るように息を引き取り天国に旅立って行きました。

太郎らしい最期を迎えることができ、本人はきっと満足していることと思います。

今後は太郎の意思を継ぎ『こめら』を存続したいと思っています。

何分非力な私一人による営業となりますので、皆様のお力を頂き楽しい『こめら』をめざしたいと思っています。今まで以上に足をお運び、太郎との思い出話などして頂ければ幸いです。

ペンションこめら 舩越みゆき

お別れ会の様子

*画像クリックで拡大します


2010年に亡くなった舩越太郎の散骨を2018年11月18日、東京湾にて30名のこめらのお馴染みの方と行いました。

1週間前の天気予報では70%雨の確立でしたが、当日が近づくにつれ、雨マークが消えました。

その日の天候は、晴天。暖かく、波も穏やかで、まさに「散骨日和」?でした。

出航して後ろを振り向くと、遠くに富士山が見え、進行方向左側にはスカイツリー・豊洲市場・ディズニーランドと景色は目まぐるしく変わりました。正面にはゲートブリッジ(恐竜橋)が見え、ゆっくり旋回し、そこでセレモニーが行われました。

音楽は、太郎が好きなジャズが流れ、大好きな日本酒を海へ注ぎ、好物の薄皮饅頭をまきました。

事前に書いていただいた手紙・折り鶴(水に解ける用紙)切り花は、みんなで海にお還しました。

水に溶ける和紙の中にはパウダー状の遺灰が人数分用意されており、永別しました。

船からの眺め、景色、太郎に相応しい最後のお別れでした。

正直もっと湿っぽくなるのかと思っていたら、さわやかなスッキリした気持ちになれ、とても癒されました。

「お父さん、ありがとう」と心の中で何回もつぶやいていました。 こめらを応援してくださる皆様のお力添えで、海に散骨するという太郎との約束を全うすることができ、胸を撫でおろしています。

これからも、より一層の応援をよろしくお願い申し上げます。

                          2018年12月14日 ペンションこめら 舩越みゆき

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